ニュース HOME > ニュース > 世界は「贈与」でできている~茶教勉強会~ 2023/10/13 世界は「贈与」でできている~茶教勉強会~ 世界は「贈与」でできている~「贈与」は私たちを救う~ ―与えることは甘やかしという“思い込み”― 子育ての雑誌やサイトによくこんなふうに書かれています。「子どもができないことを親がやってあげたりしていると 子どもの自立の妨げになる。」だから親や先生は子どもにこんなふうに言うのです。「自分のことは自分でやらなきゃダメ。人に迷惑をかけてはいけない。 人にやってもらってると自立できない。」こういった認識が世間一般で常識のようになっているのですが、それは本当に正しいのでしょうか?「助ける、与えることは甘やかし」ということを言う人がとても多いので、そういうことはいけないことなのだと、私たちは思い込んでしまい、その思い込みが子育てや教育を必要以上に苦しくて大変なものにしていると思えてならないのです。 実は最新の発達心理学では、「手伝ったりやってあげたりすると、自立の妨げになるというのは間違い。逆に、子どもができないことは親や先生がやってあげたほうがしっかり自立できる」と言われています。どういうことなのでしょう。近内悠太著『世界は贈与でできている』を参考に考えるとこういうことかなと思います。与える=贈与(お金で買うことができない、見返りを求めないもの)することで、子どもは健全な「負い目」を感じる。それゆえ、意識的か無意識的かを問わず、負い目を相殺するための「返礼義務」が子どもの内側に生じ、それに衝き動かされた行動が自立的な行動につながったという具合です。子どもは先生や親からの贈与に対し、先生や親の期待に応えよう、自分ができるカッコイイ姿を見てもらおう、という行動で返礼しようとするのではないでしょうか。私たちが昔から漠然と思い込んでいた「与えることは自立の妨げになる」というのは間違いで、「与えることこそ自立を促す」ということを、しっかり頭に刻んだほうがよさそうです。―人に頼ってはいけないという“強迫観念”― 「自分の事は自分で。人に頼るな。甘えるな。」この態度の弊害は他にもあります。それは子どもの頃にこういったことを刷り込まれて育つと、大人になって何らかの困難に直面したときも「助けて」と言えない人になってしまうということです。作家の高 史明さんは、息子さんが中学生になったとき「これからは自分のことは自分で責任をとりなさい。 他人に迷惑をかけないようにしなさい。 自分の人生だ。自分の思いで生きていきなさい。」と言ったそうです。しかしながらその夏、息子さんは自殺しました。高さんは親として違う声のかけ方をするべきだったと後に語っています。「自分の事は自分で責任をとれという前に、 ここまでくるのにどれだけの人の働きをちょうだいしたか、 他人に迷惑をかけないというよりも 他人のおかげというものが先にあるんだ、 ということをはじめに言うべきだった」と。自立とは自分で責任をとることでもなく、迷惑をかけないことでもない。これまでいただいてきた数えきれないほどの贈与があってはじめて自ら立つことができるのであって、助けてもらい迷惑をかけて私たちは自立する。だからその贈与に気づき感謝することが大切だということなのだと思います。 また資本主義社会の現代では、ビジネスからプライベートまであらゆる人間関係に「ギブ&テイク」の論理が浸透しています。言い換えれば「交換」の論理。このこともまた助けを求められないことに拍車をかけていると思うのです。交換の論理では差し出すものとその見返りが等価であるようなやりとりを志向し、貸し借り無しのフラットな関係を求めます。だから助けてほしいときも「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」という反応が返ってくることを、私たちはいつもどこかで恐れているのです。もしそう反応されてしまったら、差し出せるものは何もありません。そして「持たざるは自分のせい。だから他人に助けを求めるなんてできないよね」という考えに行き着いてしまうのです。 人間のことを丈夫で確固たる存在だと多くの人が思ってしまっているけれど、人間ってもっと弱々しくていじらしい、傷つきやすい存在なのではないでしょうか。だからどんどん人間に対してコストをかけずに無駄をなくしていこうとするといざという時に破綻する。大事なのは人間というものは「コスト」がかかる生き物だという認識をもつことだと思います。人間は弱くて、壊れやすくて、病むことも倒れることもあるのだから、それを修復するにはコストがかかるもの。それゆえに「コストをかけることは当たり前」=「助けることが当たり前、贈与することが当たり前」という前提を共有していくことが必要なんだと思うのです。それが誰も社会から退場しない、生きやすい世の中にしていく鍵になるんじゃないかなと思っています。茶教勉強会は、「知行合一」をモットーに、知識を得るだけでなく実践につなげていき、人格として身につけることを目的としています。学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。そうして得られた美しさは自身の幸せ、ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。 月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。お申込みお待ちしております。 椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理
世界は「贈与」でできている~「贈与」は私たちを救う~
―与えることは甘やかしという“思い込み”―
子育ての雑誌やサイトによくこんなふうに書かれています。
「子どもができないことを親がやってあげたりしていると
子どもの自立の妨げになる。」
だから親や先生は子どもにこんなふうに言うのです。
「自分のことは自分でやらなきゃダメ。人に迷惑をかけてはいけない。
人にやってもらってると自立できない。」
こういった認識が世間一般で常識のようになっているのですが、
それは本当に正しいのでしょうか?
「助ける、与えることは甘やかし」ということを言う人がとても多いので、
そういうことはいけないことなのだと、私たちは思い込んでしまい、
その思い込みが子育てや教育を必要以上に
苦しくて大変なものにしていると思えてならないのです。
実は最新の発達心理学では、「手伝ったりやってあげたりすると、
自立の妨げになるというのは間違い。逆に、子どもができないことは親や先生がやってあげたほうがしっかり自立できる」と言われています。
どういうことなのでしょう。
近内悠太著『世界は贈与でできている』を参考に考えると
こういうことかなと思います。
与える=贈与(お金で買うことができない、見返りを求めないもの)することで、
子どもは健全な「負い目」を感じる。それゆえ、意識的か無意識的かを問わず、
負い目を相殺するための「返礼義務」が子どもの内側に生じ、
それに衝き動かされた行動が自立的な行動につながったという具合です。
子どもは先生や親からの贈与に対し、先生や親の期待に応えよう、
自分ができるカッコイイ姿を見てもらおう、
という行動で返礼しようとするのではないでしょうか。
私たちが昔から漠然と思い込んでいた「与えることは自立の妨げになる」
というのは間違いで、「与えることこそ自立を促す」ということを、
しっかり頭に刻んだほうがよさそうです。
―人に頼ってはいけないという“強迫観念”―
「自分の事は自分で。人に頼るな。甘えるな。」
この態度の弊害は他にもあります。
それは子どもの頃にこういったことを刷り込まれて育つと、
大人になって何らかの困難に直面したときも
「助けて」と言えない人になってしまうということです。
作家の高 史明さんは、息子さんが中学生になったとき
「これからは自分のことは自分で責任をとりなさい。
他人に迷惑をかけないようにしなさい。
自分の人生だ。自分の思いで生きていきなさい。」と言ったそうです。
しかしながらその夏、息子さんは自殺しました。
高さんは親として違う声のかけ方をするべきだったと後に語っています。
「自分の事は自分で責任をとれという前に、
ここまでくるのにどれだけの人の働きをちょうだいしたか、
他人に迷惑をかけないというよりも
他人のおかげというものが先にあるんだ、
ということをはじめに言うべきだった」と。
自立とは自分で責任をとることでもなく、迷惑をかけないことでもない。
これまでいただいてきた数えきれないほどの贈与があって
はじめて自ら立つことができるのであって、
助けてもらい迷惑をかけて私たちは自立する。
だからその贈与に気づき感謝することが大切だということなのだと思います。
また資本主義社会の現代では、ビジネスからプライベートまで
あらゆる人間関係に「ギブ&テイク」の論理が浸透しています。
言い換えれば「交換」の論理。
このこともまた助けを求められないことに拍車をかけていると思うのです。
交換の論理では差し出すものとその見返りが等価であるようなやりとりを
志向し、貸し借り無しのフラットな関係を求めます。
だから助けてほしいときも
「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
という反応が返ってくることを、私たちはいつもどこかで恐れているのです。
もしそう反応されてしまったら、差し出せるものは何もありません。
そして「持たざるは自分のせい。だから他人に助けを求めるなんて
できないよね」という考えに行き着いてしまうのです。
人間のことを丈夫で確固たる存在だと多くの人が思ってしまっているけれど、
人間ってもっと弱々しくていじらしい、
傷つきやすい存在なのではないでしょうか。
だからどんどん人間に対してコストをかけずに無駄をなくしていこうとすると
いざという時に破綻する。大事なのは人間というものは
「コスト」がかかる生き物だという認識をもつことだと思います。
人間は弱くて、壊れやすくて、病むことも倒れることもあるのだから、
それを修復するにはコストがかかるもの。
それゆえに「コストをかけることは当たり前」=「助けることが当たり前、
贈与することが当たり前」という前提を共有していくことが
必要なんだと思うのです。
それが誰も社会から退場しない、
生きやすい世の中にしていく鍵になるんじゃないかなと思っています。
茶教勉強会は、「知行合一」をモットーに、
知識を得るだけでなく実践につなげていき、
人格として身につけることを目的としています。
学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。
そうして得られた美しさは自身の幸せ、
ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。
そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、
お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。
皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。
月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。
ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。
お申込みお待ちしております。
椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理