ニュース HOME > ニュース > 冒険の旅に出よう 番外編~茶教勉強会~ 2023/7/26 冒険の旅に出よう 番外編~茶教勉強会~ 「冒険」の旅に出よう 番外編~宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで~ ―気づかれない子どもたち 忘れられた人々ー 冒険をしていると、今まで見えていなかった景色が見えることがある。それはある一つのドラマとの出会いからでした。ドラマとは『ケーキの切れない非行少年たち』。主人公は女子高生17歳。都内の公立高校に通う、普通の女の子です。その少女は人知れず赤ちゃんを産み、捨てました。そして女子少年院に勤務する精神科医が、少女のある特徴を発見するのです。「ケーキを3等分できない」――。少女は実は「境界知能」でした。境界知能とは知的障がい(IQ70未満)ではないものの、平均値には及ばないため、周りの人が「普通」にできることがうまくできません。少女のIQは76で、どんなに頑張っても勉強ができず、「やる気がない」と言われていました。境界知能を持つ人たちは、統計的に全人口の14%いるとされ、35人のクラスに5人はいる計算です。少女はその事実を誰からも気づかれず、平均的な知能の人たちと同じ土俵で勝負させられ、社会から取り残されてきました。そして、ある過ちから子どもを身籠り、その結果、生まれてきた赤ちゃんを――。これはフィクションではなく、現実に起きた悲劇をもとにした物語です。私はこのドラマを観て、二つの衝撃を受けました。一つ目の衝撃はこの「境界知能」について全く知らなかったことです。 勉強が苦手、仕事が覚えられない、人間関係がうまくいかないなどはあるけれど、普通の人と同じように生活できるように見える人が多い。だから放っておかれることが多く、またはっきりと病名もつかないため、支援もあまり必要でないと誤解されてしまいます。先のドラマのように何か問題が起こったりすると、「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまう。ケーキを三等分しておいてくれと言われ、もし分けられていなかったら、バイト先であれば「使えねぇ奴だ!」としか思われないかもしれない。境界知能の人は世間の人たちのもつ「無意識の普通」から外れやすいように思います。そして期待される普通から外れたとき、相手の失望は大きくなるのです。失望という名の攻撃を多く感じやすい境界知能の人たちは「自分はダメな人間」と劣等感に苛まれ、社会からも見放され、そこから非行化したり、引きこもり、自傷行為に及んだり、最悪の場合、犯罪に手を染める可能性もあるのです。 そして二つ目の衝撃。それは娘もその「境界知能」であるかもしれないということ。娘が神経症の病気になったとき、発達検査を受けたのですが、IQがまさに境界知能にあたっていました。思い起こせば、娘は計算が苦手で、宿題でドリルが出るたびに泣きながらやっていました。境界知能であればひたすら計算ドリルをやらせるというような、できないことをやらせようとしてもただただ子どもは苦しいだけです。「やればできる」という無意識の普通に縛られた私は、声なき声を聞こうとしなかったことに、ただただ絶望感と後悔しかありませんでした。 ―一隅を照らすー 天台宗の開祖・最澄が残した言葉「一隅を照らす」。一隅とはみんなが気づいていないほんの片隅、一角のことを指します。転じて、本当は直視しないといけないにもかかわらず、目をそむけているものという意味もあるようです。「障がい」と「普通」といった枠には入れない境界知能の人たちは、気づかれずに苦しんでいる人たちで、まさに一隅だと考えます。その一隅にスポットライトを当て、「何とかしよう」と自らが変わって行動していくことが、水面に波紋が広がるように社会全体に変化を起こすことになると思っています。 その一つとして、境界知能の人たちのように助けの必要な人が自立するための依存先に自分がまずなること。「自立とは依存先を増やすこと」脳性麻痺の障がいのある熊谷晋一郎さんの言葉です。一人で生きていくことは自立ではなく、孤立です。自立とは助けを求めること。自分の弱さを知り、認め合い、助け合うことだと思います。そういった依存できる場所が増えていき、膨大な依存先を提供できる社会になれば、重荷を少しでも下ろし、生きづらさを解消していく道が開けるのではないかと思っています。 境界知能という障がいを抱えたまま社会に出て「普通に」暮らしている人は、思いのほか大勢いるでしょう。周囲にも一人や二人、思い浮かぶのではないでしょうか。「あの人、空気読めなくて困るよね」、「もっと臨機応変に対応してくれないかな」といった人が。そうした人々のうち何割かは、これまで述べてきたような困難さを抱えているのかもしれません。そういった困難さをもつ人たちに対して、社会に目に見えるかたちで変化を起こすことは簡単ではないと思います。それでも、一見「厄介な人」にも、何かしら事情があるのではないか。せめてそう思いを馳せられる一人になることができれば、彼らの生きづらさが多少は和らぐのかもしれない。社会も少しずつ変化していくかもしれない。曇っている眼鏡をふきながら、見えていなかった世界をしっかり見つめていこうと思います。茶教勉強会は、「知行合一」をモットーに、知識を得るだけでなく実践につなげていき、人格として身につけることを目的としています。学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。そうして得られた美しさは自身の幸せ、ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。お申込みお待ちしております。 椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理
「冒険」の旅に出よう 番外編
~宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで~
―気づかれない子どもたち 忘れられた人々ー
冒険をしていると、今まで見えていなかった景色が見えることがある。
それはある一つのドラマとの出会いからでした。
ドラマとは『ケーキの切れない非行少年たち』。
主人公は女子高生17歳。都内の公立高校に通う、普通の女の子です。
その少女は人知れず赤ちゃんを産み、捨てました。
そして女子少年院に勤務する精神科医が、少女のある特徴を発見するのです。
「ケーキを3等分できない」――。
少女は実は「境界知能」でした。
境界知能とは知的障がい(IQ70未満)ではないものの、
平均値には及ばないため、
周りの人が「普通」にできることがうまくできません。
少女のIQは76で、どんなに頑張っても勉強ができず、
「やる気がない」と言われていました。
境界知能を持つ人たちは、統計的に全人口の14%いるとされ、
35人のクラスに5人はいる計算です。
少女はその事実を誰からも気づかれず、
平均的な知能の人たちと同じ土俵で勝負させられ、
社会から取り残されてきました。
そして、ある過ちから子どもを身籠り、
その結果、生まれてきた赤ちゃんを――。
これはフィクションではなく、現実に起きた悲劇をもとにした物語です。
私はこのドラマを観て、二つの衝撃を受けました。
一つ目の衝撃はこの「境界知能」について全く知らなかったことです。
勉強が苦手、仕事が覚えられない、
人間関係がうまくいかないなどはあるけれど、
普通の人と同じように生活できるように見える人が多い。
だから放っておかれることが多く、
またはっきりと病名もつかないため、
支援もあまり必要でないと誤解されてしまいます。
先のドラマのように何か問題が起こったりすると、
「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまう。
ケーキを三等分しておいてくれと言われ、もし分けられていなかったら、
バイト先であれば「使えねぇ奴だ!」としか思われないかもしれない。
境界知能の人は世間の人たちのもつ「無意識の普通」から
外れやすいように思います。
そして期待される普通から外れたとき、相手の失望は大きくなるのです。
失望という名の攻撃を多く感じやすい境界知能の人たちは
「自分はダメな人間」と劣等感に苛まれ、社会からも見放され、
そこから非行化したり、引きこもり、自傷行為に及んだり、
最悪の場合、犯罪に手を染める可能性もあるのです。
そして二つ目の衝撃。
それは娘もその「境界知能」であるかもしれないということ。
娘が神経症の病気になったとき、発達検査を受けたのですが、
IQがまさに境界知能にあたっていました。
思い起こせば、娘は計算が苦手で、
宿題でドリルが出るたびに泣きながらやっていました。
境界知能であればひたすら計算ドリルをやらせるというような、
できないことをやらせようとしてもただただ子どもは苦しいだけです。
「やればできる」という無意識の普通に縛られた私は、
声なき声を聞こうとしなかったことに、
ただただ絶望感と後悔しかありませんでした。
―一隅を照らすー
天台宗の開祖・最澄が残した言葉「一隅を照らす」。
一隅とはみんなが気づいていないほんの片隅、一角のことを指します。
転じて、本当は直視しないといけないにもかかわらず、
目をそむけているものという意味もあるようです。
「障がい」と「普通」といった枠には入れない境界知能の人たちは、
気づかれずに苦しんでいる人たちで、まさに一隅だと考えます。
その一隅にスポットライトを当て、
「何とかしよう」と自らが変わって行動していくことが、
水面に波紋が広がるように社会全体に変化を起こすことになると思っています。
その一つとして、境界知能の人たちのように助けの必要な人が
自立するための依存先に自分がまずなること。
「自立とは依存先を増やすこと」
脳性麻痺の障がいのある熊谷晋一郎さんの言葉です。
一人で生きていくことは自立ではなく、孤立です。
自立とは助けを求めること。
自分の弱さを知り、認め合い、助け合うことだと思います。
そういった依存できる場所が増えていき、
膨大な依存先を提供できる社会になれば、
重荷を少しでも下ろし、
生きづらさを解消していく道が開けるのではないかと思っています。
境界知能という障がいを抱えたまま社会に出て「普通に」暮らしている人は、
思いのほか大勢いるでしょう。
周囲にも一人や二人、思い浮かぶのではないでしょうか。
「あの人、空気読めなくて困るよね」、
「もっと臨機応変に対応してくれないかな」といった人が。
そうした人々のうち何割かは、
これまで述べてきたような困難さを抱えているのかもしれません。
そういった困難さをもつ人たちに対して、
社会に目に見えるかたちで変化を起こすことは簡単ではないと思います。
それでも、一見「厄介な人」にも、何かしら事情があるのではないか。
せめてそう思いを馳せられる一人になることができれば、
彼らの生きづらさが多少は和らぐのかもしれない。
社会も少しずつ変化していくかもしれない。
曇っている眼鏡をふきながら、
見えていなかった世界をしっかり見つめていこうと思います。
茶教勉強会は、「知行合一」をモットーに、
知識を得るだけでなく実践につなげていき、
人格として身につけることを目的としています。
学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。
そうして得られた美しさは自身の幸せ、
ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。
そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、
お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。
皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。
月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。
ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。
お申込みお待ちしております。
椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理