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2021/4/29

利他を考える〜茶教勉強会〜

利他を考える

 

「利他」とは何だろう?

最近よく耳にする利他という言葉。

実は多くの人がその実態はよく分からないと感じているのではないでしょうか。

 

利他にまつわるこんなエピソードがあります。

全盲になって10年以上になるAさんは、19歳のときに失明して以来、

自分の生活が「毎日はとバスツアーに乗っている感じ」になってしまったと

話します。

 

「ここはコンビニですよ」「ちょっと段差ありますよ」

どこに出かけるにも、周りにいる晴眼者が、まるでバスガイドのように、

言葉でことこまかに教えてくれます。

それはたしかにありがたいのですが、すべてを先回りにして

言葉にされてしまうと、自分の聴覚や触覚を使って

自分なりの世界を感じることができなくなってしまいます。

たまにでかける観光だったら人に説明してもらうのもいいかもしれない。

けれど、それが毎日だったらどうでしょう。

 

障害のある人を助けたいという利他の思いが、このようにしばしば

「善意の押しつけ」という形をとってしまうことがあります。

ここで圧倒的に欠けているのが、相手を理解するということです。

自分の思いで行動する前にまず相手の言葉や反応に対して、

真摯に耳を傾け、聴く。

相手を知ったつもりにならない、自分との違いを意識する。

利他とは、私たちが思うよりも、

もっとずっと受け身なことなのかもしれません。

 

このような利他の精神は、教育における

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という考え方にも通じます。

子どもから答えは何かと聞かれ、簡単に教えてしまうという魚を与える行為は、

成長の機会を奪う場合もあります。

答えを教えてしまうことで、答えを簡単に知る習慣が身につき、

一方で考える習慣が身につかなくなる。

するとこれからの人生において何か問題に直面した際、

自分で考えて解決することができなくなってしまうのです。

長い目でみたとき、

子どもの成長にとって必要なことは知識を与えることではなく、

考える習慣を身につけるために手助けをすることなのです。

相手のためには何をすることが必要かということを考え、

それに応じて自分の行動を決める。利他の本質はそこにあると考えます。

利他についてこのように考えていくと、ひとつのイメージがうかびます。

それは、利他とは「うつわ」のようなものではないか、ということです。

相手のために何かをしているときであっても、自分の計画に固執せず、

常に相手が入り込めるような余白を持っていること。

それは同時に、自分が変わる可能性としての余白でもあるでしょう。

この何もない余白が利他であるとするならば、

それはまさにさまざまな料理や品物を受け止め、

その可能性を引き出すうつわのようです。

こちらからの善意を押し付けるのではなく、

むしろうつわのように相手を受け入れる余白を持ち、

相手の可能性を引き出すこと。これも利他のひとつのかたちだと考えます。

 

忘己利他

―自分のことは後回しにして、まず相手に喜んでいただくことをする。

我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれない―

これは天台宗の最澄の言葉でもあり、私の座右の銘でもあります。

相手も自分もみんなが幸せになるためには、利他について考え、

利他の経験を積み、利他の感覚を養うこと。

そして利他のセンスを身につけることが大事なのだと思っています。

 

今回の茶教勉強会では、この利他について考えを深めるために

グループディスカッションを行いました。

学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。

そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、

お互いを高め合っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。

皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。

 

月に一回、名古屋金山グランコートホテルにて開催しております。

ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。

お申込みお待ちしております。

 

椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理

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