ニュース HOME > ニュース > 戦争を考える〜茶教勉強会〜 2021/8/27 戦争を考える〜茶教勉強会〜 過去に学び未来に紡ぐ 私たちにできること戦争を考える私にとってお盆は戦争を考える時間。しかし今年の夏は東京五輪の影響もあってか、NHKでは原爆や戦争に関する特集番組の放送が少ないように感じました。コロナ禍で命が脅かされる日常を強いられる今だからこそ、国はどこに向かおうとしているのかしっかりと見極めないといけないのであって、戦争を考えることはその判断材料になると思うと残念でなりません。 ただコロナ禍で東京五輪強行開催に突き進む政府の姿勢は、皮肉なことに太平洋戦争を思い出させるものとなりました。政府が国民を感染爆発にさらすリスクから目を背け、“ここまで来たらやるしかない”と突き進む現状が、不利な戦況を隠して戦争を続け、国を敗戦へと追い込んだ太平洋戦争と重なって見えてしまうのです。メディアや国民も「戦争やむなし」の空気にずるずる巻き込まれていく様もまた酷似しています。 戦後の日本人は76年前のあの戦争をきちんと総括し、その教訓を活かしてきたのでしょうか。私には戦争とまともに向き合うことを避けながら、この76年間を過ごしてきたように思えてなりません。そうだとすれば、ふと気づいたときには、また同じ過ちを繰り返しているおそれがあるのではないでしょうか。 なぜ戦争がおきたのか?なぜ戦争を途中でやめることができなかったのか?これらをきちんと受け止め、分析することが必要なのではないでしょうか。戦争という歴史の教科書を学ぶことで無限の教えを見い出すことができるはずです。それは単なる教養をこえて、生き抜くための武器になります。過去を学び、未来を紡ぐ。今がその最後のチャンスではないかと思うのです。振り返れば日本は、日清・日露戦争を連勝したという「成功体験」から慢心し、中国大陸に無謀な侵略をするようになっていきました。戦略目的が曖昧なままに日中戦争をやり、東南アジアで英仏とぶつかりながら、アメリカと戦うことになるのです。そんな政治や外交は正気ではありません。そして日本軍暴走を黙認する無責任体制によって、太平洋戦争では無謀な作戦がしばしば実行されました。また日本軍のみならず国民全体にも広がっていた“戦争の空気”によって、人々が合理的な議論を放棄して盲信してしまったことが、戦争を後押しすることとなったのです。結果、多くの犠牲者を出しました。戦争を始めた日本の責任はおもいのです。 ただし戦後の日本という車は、バックミラーがやや曇った状態でこの76年間を走ってきたように思います。現在の政府やメディアの対応においても、国民の意識においても、歴史の教訓が生かされているようには思えません。まったく過去を反省せずに生きてきたわけではありませんが、誰が何を間違えたのかという責任の所在が曖昧になったまま走り続けている感じがするのです。 だからこそ私たちは戦争を学び、そこから教訓を学び、戦争をなくすための声になることが必要なのではないでしょうか。たとえ一人の小さな声であっても「一隅を照らす」活動はやがて世の中に広がり、世界の人々を動かすと思うのです。広島の核兵器廃絶を求めている被爆者の方の言葉です。「私たちの力は微力だが無力ではない」茶教勉強会では、こうした小さな声になるべく、深く思考し、学ぶことを目的としています。学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。そうして得られた美しさは自身の幸せ、ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。 月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。お申込みお待ちしております。 椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理
過去に学び未来に紡ぐ 私たちにできること
戦争を考える
私にとってお盆は戦争を考える時間。
しかし今年の夏は東京五輪の影響もあってか、
NHKでは原爆や戦争に関する特集番組の放送が少ないように感じました。
コロナ禍で命が脅かされる日常を強いられる今だからこそ、
国はどこに向かおうとしているのか
しっかりと見極めないといけないのであって、
戦争を考えることはその判断材料になると思うと残念でなりません。
ただコロナ禍で東京五輪強行開催に突き進む政府の姿勢は、
皮肉なことに太平洋戦争を思い出させるものとなりました。
政府が国民を感染爆発にさらすリスクから目を背け、
“ここまで来たらやるしかない”と突き進む現状が、
不利な戦況を隠して戦争を続け、
国を敗戦へと追い込んだ太平洋戦争と重なって見えてしまうのです。
メディアや国民も「戦争やむなし」の空気に
ずるずる巻き込まれていく様もまた酷似しています。
戦後の日本人は76年前のあの戦争をきちんと総括し、
その教訓を活かしてきたのでしょうか。
私には戦争とまともに向き合うことを避けながら、
この76年間を過ごしてきたように思えてなりません。
そうだとすれば、ふと気づいたときには、
また同じ過ちを繰り返しているおそれがあるのではないでしょうか。
なぜ戦争がおきたのか?
なぜ戦争を途中でやめることができなかったのか?
これらをきちんと受け止め、分析することが必要なのではないでしょうか。
戦争という歴史の教科書を学ぶことで
無限の教えを見い出すことができるはずです。
それは単なる教養をこえて、生き抜くための武器になります。
過去を学び、未来を紡ぐ。
今がその最後のチャンスではないかと思うのです。
振り返れば日本は、
日清・日露戦争を連勝したという「成功体験」から慢心し、
中国大陸に無謀な侵略をするようになっていきました。
戦略目的が曖昧なままに日中戦争をやり、
東南アジアで英仏とぶつかりながら、アメリカと戦うことになるのです。
そんな政治や外交は正気ではありません。
そして日本軍暴走を黙認する無責任体制によって、
太平洋戦争では無謀な作戦がしばしば実行されました。
また日本軍のみならず国民全体にも広がっていた“戦争の空気”によって、
人々が合理的な議論を放棄して盲信してしまったことが、
戦争を後押しすることとなったのです。
結果、多くの犠牲者を出しました。
戦争を始めた日本の責任はおもいのです。
ただし戦後の日本という車は、
バックミラーがやや曇った状態でこの76年間を走ってきたように思います。
現在の政府やメディアの対応においても、国民の意識においても、
歴史の教訓が生かされているようには思えません。
まったく過去を反省せずに生きてきたわけではありませんが、
誰が何を間違えたのかという責任の所在が曖昧になったまま
走り続けている感じがするのです。
だからこそ私たちは戦争を学び、そこから教訓を学び、
戦争をなくすための声になることが必要なのではないでしょうか。
たとえ一人の小さな声であっても「一隅を照らす」活動は
やがて世の中に広がり、世界の人々を動かすと思うのです。
広島の核兵器廃絶を求めている被爆者の方の言葉です。
「私たちの力は微力だが無力ではない」
茶教勉強会では、こうした小さな声になるべく、
深く思考し、学ぶことを目的としています。
学びを深め、学んだことを実践することで美しさは培われます。
そうして得られた美しさは自身の幸せ、
ひいてはみんなの幸せにつながると確信しています。
そんな美しい人を目指してテーブルスタイル茶道では心のあり方を学びながら、
お互いを高め合う活動を行っています。ぜひ茶教勉強会にご参加ください。
皆さんと一緒に豊かな生き方を追求できたらと思っています。
月に一回、椿の会本部(名鉄鳴海駅 徒歩5分)にて開催しております。
ご新規様は1,000円にてご参加いただけます(zoomでのご参加も可能です)。
お申込みお待ちしております。
椿の会テーブルスタイル茶道 副代表 久野 麻理